だれかさんのブログ

仮想通貨関係をメインで書く

BTCの"マイナーの売り"と"損益分岐点"に関して


マイナーには現金が必要で、そのために採掘したBTCを売ることは日常茶飯事である。
ただし、当たり前のことを言うが、マイナーも高く売りたい、当然ながら手元に多く現金が残ればうれしいことである。

 

マイニングによる新規発行について

1日の、マイニングによる新規発行は(1日に掘られたブロック数)*(ブロック報酬)、これに、これは新規発行ではないが、手数料報酬が加わる。
ただし、先日の記事でも書いた通り、ほとんどのマイナーは自身でBTCのブロックを掘れる確率が恐ろしく低いので、プールでマイニングし、プールがブロック採掘の名義人となるので、プールが一時的にマイニング報酬を預かることになっている。
実際に払い出されるのはプールのシステムによっても異なるが、1日1回だったり、もしくは数時間に1回だったりする、P2PoolだとcoinbaseTX自体を分割しているので、掘られたブロックの時点で送金が行われている(ただし、BTCのプロトコル上、新規生成コインは移動するまでに101承認(自身による承認を除くと100)が必要である)
なので、実際に掘られた時と売られるときの時間差はあるのと、プール手数料を考慮しなければならない、プール手数料は大体1~5%前後であり、大体3%くらいと見積もると良いかもしれない(実際には時間差についてはプールの報酬分配方式や報酬払い出しタイミングによってもいろいろ違うが、細かい違いは割愛)

 

実際にどのくらい売られるのか?

なんだかんだあって手数料込で1日1000BTCが売られたとするが、ではBTCの取引量は一日いくらだ?という問題がある。
なので、取引所の法定通貨との現物取引量を見てみることとする。(現物じゃないとマイナーはBTCを売れない)

www.coingecko.com


一応、USDT等を法定通貨とするかは議論の余地のあるところかもしれないが、これを除いたとしても、2020/11/18現在では1日10万BTC以上が取引されており、マイニングによる1日の産出量は1000BTC前後であることを考慮すると、これによる影響は1%以下と言える。
また、さらに、マイナーは世界中にたくさん存在する。数万~数十万のマイナー(個人・団体)が存在するだろう。そのため、当然のことながら、1マイナーあたりの市場への影響力はとても小さいと考えられる。

 

マイナーはいつ売るか?

また、一人一人、どのプールを使っているか?いつ払い出されるか?いつ電気代の請求が来るか?などいろいろシステムが違う。
どこの取引所を使うかも違うし、そのマイナーはどういう売却スタイルをとるかも違う。(月に1回売却するのか、週に1回売却するのか、毎日売却する熱心な人なのか、信用売りしておいて現物持ってくるとか、先物でヘッジするとか)
ただし、確かに上記のように選択肢はいろいろあるものの、先物でヘッジすればいいじゃんっていうのはトレーダーの考え方では?といったところである。
規模によってはそこまでの手間に見合うのか?という問題が出てくる。

大規模な団体のマイナーだったら専属でトレーダー等を雇ったりもできるかもしれないし、それが最善かもしれないが、100台単位とかの個人レベルのマイナーは、そんなことをしているよりは機材のチューニングでもしてたほうが金になることは多いだろう、また、メンテナンス等でそこまでトレードに時間を割けないという問題もある。
このような場合は3%相場で多く儲けるより、情報収集したりチューニングしたりして5%のパフォーマンス向上を狙ったほうが良いことも多い。

要するに、マイナーなんて沢山いるしその人の最善の動きというのは違うので"マイナーの売り"なんて気にしても仕方ないのである。

 

損益分岐点について

損益分岐点?そんなものあるかもしれないが、それはマイナーが自身の環境において気にすべきことであってトレーダーが気にすることではないと考える。
また、その"損益分岐点"は単純に電気代しか考慮してはないだろうか?他の要素も考えただろうか?
マイニングの費用は電気代だけではなく、周辺機器代、メンテナンス機材代、人件費、固定資産税・土地代・建物代(か家賃)、実質的な費用として不良率、それ以外にも大きい要因ではないが個体差など、いろいろな要素がある。
これを考慮しないで損益分岐点の話をしても仕方のないことである、なので、私は、本当にわかっていないのなら"わからない要素はわからない"ものとして扱っておくべきと考えている。自戒を込めて書くと、トレーダーだろうとマイナーだろうと、自身のためにより良い判断をするべきであり、下手にわかった気になって誤った判断をするよりは、わからないものはわからないものとして動いたほうができると考えている。